Lab. Clin. Pract., 19(2) : 117-120 (2001)
臨床検査医会振興会セミナー
21世紀の臨床検査を考える
診断薬企業の戦略
ロシュ・ダイアグノスティックス株式会社 代表取締役社長
平 手 晴 彦
は じ め に
企業側から見ると,現在の日本の診断薬業界は全体としてやや盛り上がりに欠けると感じている.診断薬業界では今後どのようなことができるのか,どういう方向に向かえば“元気”を感じられるのかについて,民間企業の立場から提言させていただきたい.具体的には,検査の革新あるいは医療革新というところで企業側がどのような役割を担えるか,という提言とともに,日立およびロシュ・ダイアグノスティックス社での経験をふまえ,世界の動きもご紹介させていただきたい.
体外診断薬世界市場
体外診断薬の世界市場は,年間2兆2千億円程度の市場があり,その中で日本は米国に次いで2位,15% の市場を占める.企業側から見れば米国と日本は重要な市場である.
世界市場は,多国籍のグローバル活動を展開する欧米の診断薬大手企業がその大半を支える構図となっている.そうした中で日本市場は,3,300〜3,600億円程度の体外診断薬市場でありながら,世界をリードすることなく,どちらかと言えば,戦略性の欠落した動きを少なからず目にする.欧米と異なり,市場規模を明確に確認する第三者機関がなく,政府が主導する保険点数の総合計をもって市場の減少を理解する向きが多い.世界市場が年率で 4〜5% 成長する原動力は,新規技術の開発投資に支えられた新しい付加価値をもった製品の提供によるところが大きい.一方,日本市場は,現有の製品を欧米以下の価格で身を削りながら販売する場面が多く,遺伝子技術などの新しい取り組みの例は限られている.日本において検査業界に暗いイメージが横たわるのは,将来への展望が見えない点が最も大きい原因であろう.
スライド1 世界市場
スライド2 診断薬グローバルプレーヤー概観
診断薬の役割は拡大する
ではこういった現状の日本市場で,診断および診断薬の役割はどうなのであろうか.
従来,疾患への対応は,診断,治療,経過観察という流れであるが,さらに川上の状態,つまり疾患の予防の段階に目を向けなければならないと考える.病気になってから面倒みるのではなく,健常者を病気にしない,健康な人の健康を守る,という目的から,予防診断への動きが出てくるわけである.ここから判断しても,診断および診断薬の役割は拡大するであろう.
では診断薬企業の現状と今後はどうであろうか.
「光」の部分として挙げられるのは,世界の診断薬企業が大手4, 5社に集約されつつあり,その集約された知識,経験,技術をもって新しい診断薬の価値を訴求していこうとする動きが見えることである.つまり,予防診断,SNPsのような疾病診断,型診断のようなところへ踏み込もうという動きが明快に見えることである.こうした診断は,医療行為の効率向上,無駄な投薬の減少という国民医療費削減へも貢献する.
スライド3 診断の役割は拡大する
スライド4 影と光の診断薬企業
遺伝子技術革新の意味するもの
周知のとおり,2000年5月にセレーラ社がヒトゲノム解析を完了してから,ヒトゲノム解析がほぼ 100% に達している.それに対して今話題に上っている遺伝子創薬(ジェネティックス,ジェノミクスと言われる,あるいはプロテオミクスと言われる遺伝子創薬の部分,あるいは治療の部分)が実際に立ち上がってくるのは相当時間がかかると予想される.つまり,その遺伝子技術を使って治療する前に,まず診断が立ち上がってくる,と考えている.
弊社を例にとれば,PCR核酸増幅の技術は多方面で使われており,実際のルーチンの機器が4,000台前後,リサーチで数千台使われている.感度の高さ,独自性,迅速性といった特長によって,テーラーメード医療の実現,患者様のQOL向上,医療費削減,より安全な輸血の実現,そして遺伝子に起因する疾病の予知が可能になった.
弊社がPCR技術に着目したのが1993年.それから7年後の2000年,NAT (Nucleic Acid Testing) のマーケットの飛躍は著しい.多くの,しかしながら,ほとんど欧米の会社群が参入してきている.
弊社の場合,ジェネティックスにおいて,特に,SNPsは,分析で注目されているが,現在最もホットな分野はプロテオミクス,特に,タンパク質の発現から機能解析になる.弊社が開発した RTS (Rapid Translation System) 500というシステムは,抗体が作れる分子量のタンパク質を,RAT,大腸菌等々,細胞の中にベクターを打ち込んで作らせるのとは異なり,細胞外でタンパク質を遺伝子から作ることができる初めてのシステムであり,国内のプロテオミクスの研究機関には不可欠な技術に育ちつつある.
スライド5 PCR(核酸増幅)技術の貢献
スライド6 無細胞タンパク質合成
診断薬企業に求められるもの
このような流れから判断し,診断薬企業にどのようなことが求められてきているかを,取り組み課題として整理してみたい.
1) 国際的な取組み:例えば遺伝子創薬,遺伝子診断には膨大な労力が必要となり,それには国境を越えた水平,垂直の分業活動が不可欠である.国際学会等において,海外の最新情報を積極的に入手することも必要であろう.また,お客様の声をスピード実現するために,販売,製造,資本,開発といった側面で企業間が提携していくことも必須である.このように,国際間,企業間の協力,提携により,規模的なメリットを得ることによって,開発投資への体力をつけることも重要である.
2) 膨大な研究開発費への対応:試薬メーカーは大きく4種類に分類される.一つ目は,臨床診断に現在も今後も注力していこうという会社.二つ目は,診断分野も手がけているが,医薬品に特化しようとしている会社.三つ目は,今は診断分野を手がけていないが,将来的に進出したいと考えている会社.これは,電気メーカー等,異業種からの参入もありうる.四つ目は,過去において診断分野を手がけていたが,現在は撤退してしまい,今後も参入の意志がない会社.このようにYes/Noが入り混じっているのが今の診断業界の状態であり,適切な舵取りをしていかないと業界からの撤退を余儀なくされる状況である.この状況の中では,遺伝子技術への取り組みが可能であるか,あるいは,お客様,患者様へのより高度な取り組みへ踏み込めるかどうか,といった力量が試されるところにきている.
3) E-コマース対応:インターネットを通じて医療関連製品の販売を行おうと,Global Health-care Exchange という名前でIBM(米国)が働きかけ始め,膨大な開発投資が行われているのが一例である.お客様の視点が十分に検討されているかどうか難しい面もあり,実際には先生方や医療機関向けのB to Cよりも,企業間B to Bが先に成り立つようなビジネスモデルであろう.
4) One to One, NET 対応:インターネットにより距離と時間が短縮されることにより検査のやり方も変わってくる.例えば患者様が自分の手元にある血糖の分析装置で自分自身で測定し,ネットワークを通じて医療機関に送り,アドバイスをもらう.こういうサイクルはすでに複数の会社が実践に入っており,ネットワークを通じての医療が実質的に成り立ってくると,患者様が来院することなく自宅で診断できるようになる.こういった状況を実質的には臨床検査の枠の中で支援していかなければならない場面が出てくるであろう.
スライド7 取り組み課題
スライド8 E-Commerceの例
スライド9 新しいビジネスモデルへの取組みネットが可能にした今日の世界
スライド10 診断薬企業の戦略決定要因
ま と め
「診断薬企業の戦略」という命題を与えられたが,企業の実際の戦略を公開するのは難しい.したがって,“戦略”よりも,診断の“役割”について話してきた.最後に,診断薬企業の戦略の決定要因と思われるものをご紹介して,講演のまとめとしたい.
1) 世界市場における日本市場をどう位置づけるか:世界市場に足を踏み出し,世界との連携の中で自分の地位を確立できるか.実際に各社とも戦略的方向は決まっている,あるいは,見えているのだろうが,それを実践できる実力と体力があるかどうかが問われている状態であろう.
2) 診断薬に医療改革のリード役をもたせることができるか:健常者が自分の健康を相談する,検査する,といった予防診断により,臨床検査に付加価値をもたせること.
3) 個人をターゲットにしたOne to Oneへの展開力:マスプロダクションとテーラーメードを両立させるのは非常に困難ではあるが,そこをどう解決していくか.
4) ジェノミクス,プロテオミクスの進展に参加できるか:ジェネティックスのあたりではSNPsの分類が出てきており,あるいはインターフェロン等の型式認定などもある.診断薬あるいは診断のシステム,検査というものが良い意味で介入することによって無駄な医薬品の投薬が確実に減る.診断から医療全体を見ることによって医療をより効率化できるというところを診断薬業界の側はアピールするべき.
5) 膨大な開発投資に耐えられるか:診断薬業界も,医薬同様に大きな投資なくしては新技術開発はおぼつかない.遺伝子診断(ウィルスからヒトゲノムタンパク質へ)の分野は可能性の宝庫であると同時に,その膨大な投資額ゆえに退場を余儀なくされる企業も出てくる.
お わ り に
病院…英語ではhospital.語源のHospitalityは“面倒をみる”という意味であり,日本では“病(やまい)”という字をあてはめ“病院”という言葉になっている.そこから,医療とは病人をケアするという方向に向きがちだが,健康な人の健康を守る病院という考え方,あるいは健康な人の健康を守る検査というものに我々診断薬企業もぜひ貢献したいと考えている.病院の評価も,こうした面で将来大きな差がついてくると予想できる.人を病気にさせないための予防,適確な検診・診断を実現することによって精度の高い治療を提供でき,人々の Quality of Life の向上に貢献することが,我々診断薬企業の使命であると考える.