JACLaP NEWS No. 62 p5 (2001)

ミャンマーでのC型肝炎対策で思ったこと


 私は国際協力事業団(JICA)の個別専門家派遣事業の専門家として、ミャンマーにおける「C型肝炎対策」事業の指導を行っています。これは文部省科学研究費での「ミャンマー国肝癌発生要因としてのサラセミア症の鉄過剰症と輸血関連疾患の調査研究」に端を発しています。研究では輸血依存性成人サラセミア患者の 56%、同小児患者の 47% がHCV抗体陽性であることに加え、一般住民で抗体陽性者が 10% 以上と極めて高率であり、WHO統計資料の空白が埋められそうな状況になりました。血液事業が世界水準に比べて遅れていることもわかってきました。すなわち輸血血液の多くが売血に依存していること、成分輸血は行えず血液はガラス瓶で採取供給されていること、血液製剤はHBs抗原とHIV抗体検査は行われているがHCV抗体検査は行われていないことなどが明らかになりました。経済的にはアジアで1・2位の最貧困であり、軍事政権の誕生以来西側が経済支援を控えたことがこの事態を招いたのかもしれません。
 事情を承知したうえで、どのような「C型肝炎対策」が行えるかが課題でした。ミャンマー厚生省・国立医学研究所との協議により、血液事業そのものを改善するこがHCV汚染の拡大を食い止める最重要課題であるとの結論に達しました。売血を廃止し、輸血血液をすべて献血に依存する計画が進められました。わが国から献血車を寄贈し、安全確認ができた献血者を登録して、頻回献血に協力してもらう体制が整いつつあります。ここでの最大の問題はHCV抗体検査を1回1ドル以下にできないかという問題でした。この事業に参加していた日赤血液センターの研究員が、これを解決するグッドアイデアを出してくれました。すなわち、PA法によるキットをテラサキプレートで展開し、虫めがねで凝集を判定することにより1回分のキットで5人分の検査ができるという方法です。高度な機器の維持管理は不要であり、検査キットの安定性も正確性も保たれるすばらしい方法です。現在ではこの方法で輸血製剤の安全チェックが行われ、計画が順調に動き出しています。
 この事業に参加していろいろなことを考えさせられました。検査キットを分解して現場に見合う検査を開発した時代が日本にもあったような気がします。現在では検査の原理も理解しないで、操作マニュアルさえあれば検査が実施できて検査結果が自動的に出てくる時代かもしれません。わが国の20〜30年前の歩みが今も続いている国があることを実感しました。日本ではなにも役立たないように思える日常的な常識が、発展途上国では国民全体を救うことにもつながる可能性があることを痛感した次第です。最初は出張を敬遠していた自分が、いつのまにかアジアを助けなければならない、われわれにできることはたくさんあると叫んでいる自分に変わっているのを実感しています。

(岡山大学 小出典男)

 

“容喙…?”「草枕」の傍らで


 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。しかし、角が立つのもかまわない、情に流されるもまたよし。しかし意地を通して窮屈なのは困ると還暦を過ぎて六十路を登りながら考えた。
 私どもの医学部に附属する病院の一つは、2000年1月“横浜市立大学医学部附属市民総合医療センター”と改称した。長すぎると言うことと“医療センター”の名前はヨコハマ市民にはなじまないとのことで「センター病院」と通称する。しかし横浜市内には1970年創立の神奈川県立こども医療センターがあり全国区である。 病院の英語の名称はYokohama City University Medical Center である。当初、事務当局から示されたのはYokohama City University Citizens’ General Medical Center であった。横浜市の国際室、横浜市立大学の英語学の先生のお墨付きもあるとの説明があった。これにはさすがに温厚なgentlemanで知られる、ドクター連中も全員反対し、上記の名称となった。
 2000年8月、日本臨床病理学会は日本臨床検査医学会と名称を変更した。臨床検査医の集まりは臨床検査医会。日本臨床衛生検査技師会の学会は日本医学検査学会である。
 臨床病理学会が臨床検査医学会になった本当の理由は良く知らないが、世界的にClinical pathology がLaboratory medicine に変わりつつあることを受けてと聞いている。巷の噂では病理学会との類似性のため“官“の指導があったとも聞く。別に反対と言うわけではないが何か釈然としない。一種の創氏改名である。学会のポスターなどをみると日本医学検査学会と混同しそうである。因みにOfficial Journal の名は“臨床病理”のままである。
 臨床検査医のidentityが問われる。先の学会(第48回日本臨床検査医学会,2001年,8月,横浜)でのシンポジウム「日本のAP. CP卒後教育カリキュラム」では生理検査の教育は全く触れられなかった。私どもの検査部の生理部門は、独立した機構となった病理部、輸血部より規模が大きい。臨床検査専門医の受験者が増えているのは喜ばしいが、内科医、病理医の割合が余り多いのは如何なものか。検査医のするNeben Arbeit は“内科”診療であることが多いときく。臨床部門の医師で自分の専門領域で生業(なりわい)ができないのは哀しい。いくつかの大学では臨床検査(医)学の名のもと隠れ名称として、血液内科、内分泌内科、腎内科、感染症内科などを標榜しているという。
 学生に未来と、夢を語れないのはさびしい。
 兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引っ越したくなる。無論、上述言が「蜀犬日に吠ゆ」では画にならないことは十分自覚している。

(横浜市立大学医学部臨床検査学 原 正道)